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連合会の歴史

2000年代 
さらに発展・民営化反対の取り組み

2000年代 廃園反対運動

公立保育園廃園民営化

1990年代後半から、全国で行われた公立保育園の廃園民営化は、愛知県ではまず、江南市・安城市・刈谷市で行われ、企業が参入してくる事態となっていました。小規模連としてこの問題とどうかかわるのか論議を重ね、保育運動が大きな転機となっていきました。名古屋市でも公立則武保育園の民営化が提案され、愛保協を中心に「保育をよくするネットワークなごや」が結成され、「公立保育園をなくすな」の闘いが広がりました。

また、反対運動と両輪で民営化を受託する方針も固まり、子どもたちにとって最善の利益を守る運動と保育が積み重ねられています。

規制緩和と多様なニーズ

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少子化問題がクローズアップされる一方でリーマンショック以降の不安定な経済情勢や派遣労働問題を背景に、保育の需要はますます高まり、全国的に待機児童問題が表出してきました。それにともなって、規制を緩和して詰め込み保育が横行し、子どもの安全と安心を守る保育づくりが課題となり始めました。

小規模連でも、共同保育所やNPOから認可を取る仲間が増え、各園で保育時間の延長や日祝保育・学童保育・家庭保育室など事業展開を模索し実施してきました。一方で新規事業に伴い、職員が増員されるところも多く、若い職員にどう保育を伝えていくのかという新たな課題も生まれてきました。

新たな保育実践

「荒れる子・キレる子」「気になる子」などという言葉とともに、発達障害だったり、社会的背景からくる育ちの困難さが注目され始めました。さまざまな姿で、私たちに要求を出してくる子どもたちに、実践現場では「受容」「共感」を大切に子どもたちが何を願いどんな発達要求をかなえようとしているのかをまず第一に考える取り組みが各園で実践されました。集団保育が困難になる状況の中で、「愛され感」「認められ感」をどの子にもと、一人ひとりの願いを大切にする保育が各園で実践されていきました。

また、保育園の形態も「異年齢保育」が確立されだし、父母と共に「障害児を育てるみんなの会」が立ち上がりました。また、保育所運営の分野でも、法人内で複数の施設運営をする法人が増え始め、経営的視点に立った「法人部会」が小規模連経営部会の中に設置され、保育も運動もそして経営もの視点が徐々に浸透されだした時期でした。